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汚物は消毒

ダークサイドの人間

この世界には2通りの人間がいる。ライトサイドの人間とダークサイドの人間だ。
ライトサイドの人間というのはプラスの動機付けで動く人間。たとえば○○が好き、○○を愛している、○○をしたいとか。
ダークサイドの人間というのはマイナスの動機付けで動く人間。たとえば○○が嫌い、○○を憎んでいる、○○をしたくないとか。

ダークサイドの人間というのは社会にとって厄介だ。
成功者がいると、やっかんで足を引っ張ってくる。誰かが革新的なことを成し遂げると、その問題点をいちいちあげつらってくる。
2ちゃんねるあたりに行くとそういうダークサイドの人間の見本がいくらでも見られる。

そういう自分もおそらくダークサイドの人間だろう。好きなものと言われてもなかなか思いつかないが嫌いなものなら今すぐ100個ぐらいパッと挙げられる。ソフトウェアを作って公開しているのも、日常の作業でいろいろ発生する不満を解消するというどちらかというと後ろ向きな動機だ。
そしてそういうマイナスの動機付けは、そのマイナスが解消されてしまうと消えてしまう。そこからプラスに持っていこうという気にはならない。なのでダークサイドの人間は創造的な仕事には向いていないのだと思う。

だが、そういうダークサイドの人間がいるからこそ社会が正しく動くのではないかとも思う。

元武雄市長の樋渡啓祐は一連の言動が大勢の人間に叩かれたが、叩いている人たちは樋渡の先進的な取り組みをやっかんで潰そうとしているという批判もある。この批判はあながち的外れとはいえない。ただ樋渡のは先進的な取り組みじゃなくて単に私服を肥やしてるだけだろw
樋渡の批判者は樋渡に対する負の感情に動かされているわけで、彼らはいわばダークサイドの人間だろう。その労力を自分のために使ったほうが幸せになれただろうとは思う。
だがこういう批判者がいなかったらどうなっていたか?きっと樋渡は今以上にやりたい放題やって、武雄市やら何やらから搾取し続けていただろう。樋渡を完全に潰すことは出来なかったとしても、批判者がいたことでまだ今の程度に抑えられてるのだ(と思いたい)。

ダークサイドの人間と言うのは、素晴らしい力を持ちながら邪悪な心に踊らされた人間が暴走したときのブレーキとして社会に欠かせないのだと思う。

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